池田城の歴史

『池田城ってどんな城?』

戦国時代の池田城復元模型

戦国時代の城

城といえば、大阪城や姫路城といった姿を思い浮かべるでしょう。高い石垣があり、5階建の天守閣、その周囲には2階建や3階建の櫓(やぐら)がならぶ姿。

しかし、こうした城は戦国時代が終わってからつくられた城なのです。戦国時代、各地で戦争が行われていたころの城は、まったくちがったものでした。

戦国時代、各地に武将だけではなく、国人やその家来も城をつくりました。また、村人が戦争からのがれるためにつくった城もありました。

こうした城は堀を掘り、土をもりあげたもので、まわりには柵や板のへいをめぐらしたものです。建物は城主が住む屋敷のほか、小屋や木を高く組んだ見張り用の建物などで、天守閣はありませんでした。

(村人の城や見張り用の城の場合、簡単な小屋だけだったようです)

池田城はこんな城

池田城は、現在の城山町、建石町のある台地にあり、東西330m、南北550mの大きさでした。

​城のまわりは急な崖になっており、それだけで十分敵の攻撃をふせぐことができます。城の内部はいくつかの堀が掘られていましたが、石垣はありません。

城主が住む場所は特に大きな堀を掘り、さらにその内側には土手のように土を盛り上げていました。城主が住む場所は主郭とよばれ、現在、城跡公園になっています。主郭には城主の屋敷、倉、井戸などがありました。それ以外のところでは、見張り用の建物や簡単な小屋があったようです。城を守る兵士たちのほかに鉄製品などをつくる職人たちもいたのでしょう。

城の南側には人々が通行できる道が横切っており、道にそって民家や寺などがありました。この民家や寺は池田氏と深いかかわりをもった人びとが住んでいたのではないかと思われます。

また、城の中を横切る道は、戦いがおこった時、これをふさぐことで敵の通行をさえぎることができました。